Arts & Crafts Porcelain

まずご覧いただく皆様にお断りしなくてはならないのは、ここでは一応 Arts & Crafts Porcelainというカテゴリーにしていますが、 正確にはモリス商会にアーツ&クラフツの陶芸家として加わったのは William de Morganだけであったこと、Martin Brothers や Doulton の作家達はその影響をかなり受けていますが Christofer Dresser 等はむしろ Arts &Crafts の思想とは対極にある工業的なデザインを目指していたデザイナーだったことなどから、このカテゴリーの Porcelain はアーツ&クラフツとその周辺作家と考えて頂きたいと思います。
また Porcelain とありますが陶器 Pottery も混ざっていることもご承知おき下さいませ。

William de Morgan, 1839-1917

ウィリアム・モリスのモリス商会に唯一参加した陶芸家とされるモーガンは、何回か工房を移し、ラスター彩、エナメル彩などを研究しています。
第一期ともいえる工房はチェルシーに造り、第二期はモリス商会がロンドン郊外のマートン・アビーに工房を移したことに伴い、モーガンもマートン・アビーに工房を移しています。
第三期は1888年にやはりロンドン郊外のフラムに工房を移しています。一見グロテスクとも思える鳥やガレー船と太陽など個性的な絵付けのものが多い作家です。

Martin Brothers 1872-1915

Wallace, Charles, Walter, Edwin の四兄弟による素晴らしい工房です。(マーティン兄弟は六男三女おり、表には出ませんが次女Alice Martinなども工房に関わっていました)
長男のウォレスは彫塑にすぐれ、マーティンブラザース特有のしかめっ面の鳥や人のジャグを造り、三男チャールズは工房のマネージャー、五男ウォルターは轆轤絵付け、六男エドウィンは絵付けと役割が決まっていたような記述とそれを裏付けるような写真が残っていますが、実際にはウォルターは1879年に知り合ったH.F.F.Fawcettの影響で日本風の絵付けを数多く残し、余り主立った仕事を任せて貰えなかったエドウィンがその間、轆轤、造形などを習得し1900年前後から良い仕事をしているように感じます。
1903年に工房を揺るがすような大火に見舞われ1915年に工房は閉鎖されました。

Christopher Dresser, 1834-1904

グラスゴー出身のデザイナー、文筆家、植物学者。 植物学はドイツで博士号を取得しています。日本の工芸などにも造詣が深く、1876年の日本訪問ののち Traditional Arts and Crafts of Japan という500ページ近い本を1882年に上梓しています。
ただ彼はデザイナーという立場から、銀器では Hukin and Heath、James Dixon &Sons、Elkington &Co、陶磁器では Minton、Wedgwood & Sons、Linthorp Pottery、Watcombe、Ault 等数多くの工房や会社にデザインを提供していましたので、ドレッサー本人のデザイン、それをアレンジしたものまったくドレッサーが関知していないけれど似ている物などの判断が非常に難しい作家でもあります。 一応ここでは著名なドレッサーのコレクター Harry Lyon 氏の店 New Century の出した1999年の Dresser というエキシビションカタログ、Michael Whiteway Christopher Dresser 1834-1904 などを参考に多分ドレッサーであろうというものを選んで載せています。

William Moorcroft, 1872-1945年

陶芸家、陶芸デザイナー、スタッフォードシャーに生まれ、アートスクール卒業後ジェイムズ・マッキンタイア商会のデザイナーとして働きはじめ1913年にマッキンタイアから独立して工房を創設しました。
独特の Florian Ware をはじめとして Flamminian、Claremont、このHPのタイトルにも使っている Eventide など息子の Walter 共々素晴らしいデザインを造りだし、いまもムーアクロフトの工房は存続しています。

Doulton, 1815-

当初土管や瓦などを造っていたドルトン社はのちにデザインスクールを起こし、次第に芸術性の高い作品や作家達を送り出していきます。
19世紀初頭のランベス地区の貧しい様相など興味深い点は数多くありますが、一応Doulton社の概略を記しておきます。
1830年頃から土管や煉瓦などで事業を拡大していった John Doulton の次男 Henry Doulton は周りからの強力な薦めもありランベス・スクール・オブ・アートの経営委員になります。
そしてそこから George Tinworth, Hannah Barlow, Florence Barlow などのアーティストが生み出されていきます。
また特筆すべきはこのスクール、またドルトン社は女流作家の登用に非常に積極的だったということでしょう。
土管からRoyalの冠を抱くまで、道のりは遠かったのでしょうか。思うより近かったのでしょうか。

Charles Hubert Brannam, 1855-1937

Charles Hubert Brannam (1855-1937) は父親の代からの陶器製造業で1881年 Barum ware の専売権と共に Liberty & Co. に移っています。
また1885年にはヴィクトリア女王の御用達になり Royal Barum Ware と呼ばれるようになります。
作品はその頃から1900年ぐらいまで色彩豊かなグロテスクと紙一重のような面白い作品を造りだしていきます。
その一方シンプルで使い易い実用的な物も造っており私もまだこの工房の事は勉強不足です。

Wardle & Co., 1854-

1854年ジェイムズ・ウォードルによって起こされた陶器会社。
1899年に美術部長に任命されたフレデリック・ハーテン・リードの孫のフレデリック・リードは Liberty & Co. のために「ベロズ」「ハッドコート」などを独占的に提供しました。