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版画のコーナーですが、本当に気ままに好きな物だけ集めたものです。

ただ Fernand Khnopff は版画の数の少ない画家で、5枚集めたらコレクターと言われました。5枚あるので一応コレクターでしょうか?

Fernand Khnopff(1858-1921年)

ベルギー象徴派の画家。
1858年ベルギー東フランドル地方に生まれ、代表作は 'I lock my door upon myself', 'Des caresses', 'Une ville abandonnée' など。
耽美的な作風で知られ、ラファエル前派のミレー、バーンジョーンズなどとも交流があった。独特な女性像は主に6才年下の妹マルグリット・クノップフをモデルにしたと言われる。
貴族趣味とも揶揄される事もあり、高踏的な振る舞いも多かったとされる。

[参考文献]
Robert L. Delevoy, Catherine de Croes and Gizelle Ollinger-Zinque. Fernand Khnopff: Catalogue De L'œuvre. Paris: Bibliotheque de l'Art, 1988.
『夢人館5 フェルナン・クノップフ』岩崎美術社、1990年

J. M. W. Turner(1775-1851年)

英国最大の風景画家と呼ばれる。ロンドンの床屋の息子として生まれ、正式な訓練は14才になるまで受けなかったが、12才から絵を売り初め、26才でロイヤルアカデミーの会員となる。32才遠近法の教授就任。
印象派の先駆けとなった事でも知られる。
版画制作も精力的に行い、中でも「研鑽の書」(1806-19)はターナー初のオリジナル銅版画集として知られる。

Edward Burne-Jones(1833-98年)

ラファエロ前派の代表的画家。バーミンガムに生まれオクスフォード大学で神学を学ぶが、ウィリアム・モリスに出会い、画家を志しガブリエル・ロセッティに師事した。
また絵画だけではなく、ステンドグラスデザイン、タペストリーデザインなども手掛け、モリスを中心としたアーツ&クラフツ運動の中心的人物となった。

[参考文献]
Timothy Hilton『ラファエロ前派の夢』白水社、1991年
『西洋絵画史WHO'S WHO』諸川春樹監修、美術出版社、1996年
Edward Burne-Jones 30 Postcards, Tashen

長谷川潔(1891-1980年)

明治のエリートの子息として生まれ育ち、旧制麻布中学卒業後、外交官を目指して勉学するも生来の蒲柳の質の為、画家への道を歩み出す。
1919年渡仏の後、欧州においても途絶えていたマニエル・ノワールの版画技法を復活させ、パリ市より「パリ市金賞牌」などの賞を授与され、また日本人画家としては葛飾北斎、藤田嗣治につぐ3人目の肖像のメダル鋳造者に選ばれたが(フランス国立貨幣賞牌鋳造局)、日本では本人不在の為正統な評価が受けられず、友人の堀口大学等に窮状を訴えた手紙を送り「日本に帰りたいが、版画などでは帰国の費用もできない、家族の健康も良くない」またマニエル・ノワールを伝授した浜口陽三、駒井哲朗に関しては、駒井哲朗こそ、自分の正統な後継者と訴えている。
結局生前は日本での正統な評価が受けられないまま、一度も帰国がかなわず、1980年パリにて没っす。
昆虫学者の長谷川仁氏は甥にあたり、パリに叔父長谷川潔を訪ね「一度でいいから叔父を風呂に入れて背中を流してあげたかった」と回想していた。

長谷川潔は版画家ですが、私は一番好きな画家は?と聞かれると「長谷川潔」と答えます。

[参考文献]
『長谷川潔版画作品集』京都近代美術館監修、美術出版社、1981年
長谷川潔『白昼に神を視る』白水社、1991年
展覧会カタログ「銅版画の巨匠 長谷川潔」展、京都近代美術館、1980年 その他

Henri Fantin-Latour(1836-1904年)

ブルノーブル出身、クールベに師事しサロンを主な発表場とする。
マネや印象派との交流は深いが、自身の作はアカデミズム系のロマン主義と評される事が多い。落ち着いた色合いの人物画、静物画を得意とする。
版画に関してはワグナーシリーズなどにも積極的に取り組んでいた。

[参考文献]
『新西洋美術史』千足伸行監修、西村書店、1999年

Samuel Palmer(1805-1811年)

サミュエル・パーマーに関しては資料が少なく、作品数もあまり多くない。
ただこのHPのタイトルにしているように個人的には版画では一番心安らぐ好きな作家である。
今は1枚しか持っていないパーマーだが、「眠れる羊飼い」というタイトルの版画をいつか手に入れたいと思っている。